2012年8月24日金曜日

RE:消えつつある民族の逆襲~我々に何ができるか~

岡本氏の投稿にあるように、世界各地で民族の逆襲は始まっています

彼らの目から見た、先進国=文明の「牙」は、あまりに生々しく、その言葉は、たいした疑問ももたずに、この文明の中に身を委ねている我々に、深く突き刺さってきます。

中でも、私がひどく考えさせられた、マレーシア、サラワク州の先住民の代表が、国連総会にて「読み上げるはずだった原稿」を紹介したいと思います。
できるだけ多くの文を読んでいただきたいために、引用が少し長くなってしまいましたが、端折らずに読んでいただきたいと思います。
 

 ~以下、引用~

私はサラワクから来ました。サラワクはマレーシアの州で、ボルネオ島にあります。サラワクの面積はブラジルの二%にも達しませんが、世界の熱帯産木材の三分の二以上を現在生産しています。
伐採の割合を現在の半分にしても、サラワクの原生林のすべては2000年までに消 滅してしまうでしょう。


私たちの多くは現在飢えています。有毒な表皮を持つ木が切り倒されて、川に流れ込み、魚を全滅させてしまいます。
汚染された土地の泥が川を汚し、それによって私たちは病気にかかり、飲料水を得られなくなってしまいます。
埋葬地に印をつけておいても、材木会社は平気でブルド ーザーで埋葬地を押しつぶしてしまいます。
私たちの気持ちなどなんとも思っていないのです。
何百という墓地がこうして破壊されてしまいました。

そのことで抗議すると、彼らはわずかな額のお金を補償だといって渡そうとしますが、これは私たちにとって侮辱でしかありません。 祖先の体とひきかえに、お金を受け取るなんてことができるでしょうか。

材木の切り出しのおかげで私たちに進歩と開発がもたらされているのだと政府はいいます。しかし、私たちが目にする開発は、ほこりっぽい伐採道路と再定住用キャンプだけです。

材木の切り出しは私たちの雇用をつくり出しているのだと政府はいいます。しかし、この雇用は森がなくなると同時になくなってしまいます。
10年もすれば仕事はまったくなくなってしまうでしょう。
それとともに私たちの命を何千年にわたって支えてきてくれた森もなくなってしまうのです。

どうして私たちに仕事が必要なのでしょうか。
私たちの父や祖父は政府に仕事をくれと頼む必要などありませんでした。失業などというものはありませんでした。
大地と森を糧にして生活していたのですから。生活は楽しく、余暇は十分にあり、飢えることも困ることもありませんでした。

しかし、企業の仕事となると、何ヶ月も連続して家族から離れて暮らさなければなりません。おかげで何世代にもわたって家族とコミュニケーションをつなぎ合わせてきた大切な輪が切れようとしています。

企業の仕事はペナンの人びとを消費経済の中に巻き込もうとしています。消費経済を受け入れる態勢になっていない人たちを。

(中略)

1987年以来、平和的な抗議行動に参加したという理由で私の同胞が逮捕され、投獄されてきました。

政府の高官はあるとき私に、開発を進めるには、だれかが犠牲にならなければならないといいました。
私はこういってやりました。
「どうして私たちがいつもその犠牲を払わなければならないのですか。もう十分なものを差し上げたではありませんか。私たちはすでに貧乏になり、社会の周辺に押しやられてしまっています。もう犠牲にするものは、命以外何も残っていないのですよ!」

私たちの暮らし方を守ろうとすると、環境保護主義者だとか、盗人だとか、裏切り者だとか、テロリストだとか呼ばれてきました。
私たちの生命は企業が雇ったごろつきによって脅かされています。
女性が村に侵入してくる伐採労働者によってレイプされることはしょっちゅうです。
企業は森を利用して金持ちになっていくのに、私たちは極貧の中で暮らさなければならない状況に追い込まれています。

(中略)

私たちは絶望的な状況にありながら、暴力を避けてきました。
私たちは平和的な抗議手段しか用いてきませんでした。
平和という大義に殉じる、この国連という機関が平和的な人々の嘆願に耳を貸さないのはなぜなのでしょうか。

私の国、ならびに他の開発を進めている国々に対して、私は申し上げます。
近代化の競争の中で、われわれはわが同胞の人たちの古い文化と伝統を守らなければなりません。
われわれはヨーロッパ文明がつくり出したあの進歩のモデルに盲従すべきではない。
富んだ先進諸国をうらやましく思うことはあっても、その富が非常に大きな犠牲の代償としてもたらされたものであることを忘れてはなりません。
富んだ世界は大きなストレス、汚染、暴力、貧困、精神的空虚さに悩まされています。

先住民の社会の富はお金や物にあるのではなく、共同体や伝統や特別の土地の一部であるという感覚、そういったものにあるのです。
世界は単一の文化に向かってまっしぐらに進んでいます。
私たちは立ち止まって、多様性の美しさについて考えてみなくてはなりません。


 ~引用終わり~


この声明文は、非常に鬼気迫るものがあり、我々先進国の残酷さ=自我性を浮き彫りにしていると思います
西谷文宏

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