2012年9月5日水曜日

「拒否できない日本」を読んで

>この本『拒否できない日本』(関岡英之著、文春新書)=写真=は、米国政府が毎年10月に日本に提出する「年次改革要望書」の存在を暴く内容。10年来、日本の規制緩和政策が、独占禁止法や郵政民営化、先に成立した会社法など、すべて「要望書」通り実現していく様を描いている。

 もっとも、「要望書」自体は、米国大使館のサイトで日本語訳が読め、同書は《数年後の日本になにが起きるか知りたいときには必読の文献である》と指摘する。
(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=97621)

 文藝春秋社のサイトで注文後、2週間も経って届けられたこの本を読んで、最もショックだったのは、アメリカの内政干渉とも言える数々の要求を、「まぁ、今までよりよくなるということだし、アメリカ方式結構。変化を受け入れて、早く対応して時流に乗ろう。」という土壌が常に国内にあったという実感だった。

 指名入札からコンペプロポ方式への移行、阪神大震災後のタイミングにして逆に緩和の方へ改定された建築基準法の性能規定化、商法の改正、金融の自由化、裁判の迅速化を掲げた法曹人口の増員、etcetc・・・・。

 郵政民営化もサービスの向上や税収の増、官から民へ・・・・とマスコミを通じて喧伝されたが、それを真に受けてその気になった層はアメリカの国益になるような方向へ投票してしまった。

 だがアメリカは何も日本国民の利益を考えて数々の要求をしてきたわけではない。

  北京で開催された建築家世界大会の話から始まる、様々な分野における一連のアメリカの布石、その目的と動機に関わる考察を読み進めると、とても勝ち目のない相手の土俵に引き出されつつある現状が明らかになってくる。

 自由競争市場というシステムでの利権争いが変わらず繰り広げられている。金融・株式市場では企業買収や空売りなどのテクニックを駆使した勝者が、敗者から収奪していく。既に日本は参戦してしまっているが、外資が日本の企業を食い物にしようとしたら、赤子の腕をひねるようなものだと言う。
 
 勝者となるべく戦略を持って自国に有利な国際基準を整備し、他国に干渉し、布石を打っていく。勝つためには手段を選ばず、敗者がどうなろうと顧みることはない。「市場の勝者となる。」ために、財界政界法曹界一糸乱れぬ動きをとっていく。

 アメリカは日本の指名入札制度を非難し、圧力を掛け続けてきた。しかしイラク復興事業はアメリカの企業の指名入札でなされた。「アメリカ国民の税金を使う事業において、アメリカの企業に利益を還元するのは当然である」と開き直るアメリカ。それは日本が数々の非難を受けながら、言いたくても言えなかった台詞であったという。

 アメリカは常に正しく、日本は間違っている。日本の制度は不公平である。だから是正するように。と日本政府は要求され続けてきた。談合や贈収賄などの不祥事をすっぱ抜き、マスコミをうまく使い、日本国内にもアメリカ親派、アメリカ流儀肯定ムードを作り続けてきた。

 マスコミを通して洗脳され続けている結果、アメリカは日本という大事な同盟国に対して悪いようにするはずがない。という感覚がどこかにあったのではないか。

 EUという対抗勢力を作り上げたヨーロッパ諸国や、巨大な市場を楯にアメリカとの駆け引きに臨む中国に対して、アメリカの温情を信じて何も手を打ってこなかったかのように見える日本は、共認社会の先進国として可能性を拓くどころか、今や孤立無援でアメリカの餌食になりつつあるように感じる。

 でも、それにようやく気付いたからといって、アメリカに負けないよう、国際社会で多数派工作して市場競争に勝っていくことが日本が目指す道ではないのだろう。

 市場は縮小している。市場主義の限界・矛盾・破綻は明らかである。全ての側面に於いて共認原理に移行しつつあり、人々の活力源・可能性の所在、その意識潮流は動いている。そのシステムを一から創っていくことでしか根本的に問題を解決することはできない、ということを、リアルに迫る危機感のもと、改めて認識する。

渡邊かお里

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