2012年9月12日水曜日

アメリカはもはや張子の虎でしかない

アメリカはもはや張子の虎でしかないことを再認識した。世界情勢を客観的に見るというという観点では、これは非常に重要な認識である。客観的な状況認識に塗り替えさえすれば、政治家やマスコミのアメリカべったりの姿勢はおかしいということが明確になってくるし、アメリカ支配から脱却する可能性も見えてくると思う。

張子の虎であると言える理由は、もはや先進国では力の原理は通用しなくなっているにも関わらず、アメリカだけが見せかけの力の原理を頼みにしているという理由だ。根本的には力の原理が衰弱し、序列原理では統合できなくなってしまったという現実を捨象し、自らに都合の良い観念(自由と民主主義⇒強いアメリカ⇒テロとの戦い等)に安直に寄りすがってゴリ押しを図ろうとするという点では、偽者であり、実は張子の虎と言っていい。実効力のない偽者の観念に頼って侵略やゴリ押しを繰り返すから、世界中で反米意識や民族意識が高まるばかりである。本当に力の原理が通用するのなら、反米意識や民族意識などは力でねじ伏せることができるはずであり、力でゴリ押しをすればするほど、反発が出てくるというのは、もはやアメリカが張子の虎であることの証明であろう。

力の原理の衰弱は、日本を含めて先進国共通の構造であるが、アメリカはいち早く豊かさを実現した分、力の原理の衰弱もいち早く顕在化した国であると見ていいだろう。例えば、‘60~70年代のベトナム戦争でアメリカが負けた理由も、根本的には力の原理ではアメリカ軍の活力を持続させることができなかったからであり、‘80年代に貿易赤字、財政赤字という双子の赤字が問題になったのも、力の原理では経済活力を維持できなくなったからである。いつ頃を転換点と見るかは詳細な分析が必要だが、社会秩序も経済もガタガタになり、‘80年代に入ってレーガンが「強いアメリカ」ということをスローガンにせざるを得なかったことを考えると、既に‘60~70年代には相当力の原理は衰弱していたと考えていいだろう。その後は軍備に力を入れたり、日本やECに対して自分のところに都合のいいように市場開放の圧力を加えたりしてきたが、一向に双子の赤字も社会秩序も回復する気配はなく、むしろ悪化する一方である。ブッシュ政権になって、さらに「強いアメリカ」のスローガンは強まったが、実態は、力の原理の衰弱に伴ってアメリカの活力は衰弱する一方である。そもそも、力の原理が衰弱して活力が衰弱する一方である国が、力でゴリ押しできる訳がない。(無理やりゴリ押ししようとしても国民、軍隊がついてこず、負けるであろう。)

冷静に考えれば、もはやアメリカはゴリ押しする力の基盤を失っていることは見えてくるはずだ。アメリカべったりでないと生きてゆけないというのは、敗戦コンプレックスか何かで凝り固まった旧い状況認識にしか過ぎない。政治家やマスコミのゴマカシに踊らされることなく、客観的な状況認識に塗り替えてゆく必要がある。

雪竹恭一

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